いささか迷いがあったか?
亀山郁夫『『罪と罰』ノート』
■亀山郁夫『『罪と罰』ノート』2009年5月15日・平凡社新書。
■2021年12月10日・ネット(クラリスブックス)・ ¥500にて購入。
■長篇評論(ロシア文学・ドストエフスキー) 。
■2022年1月12日読了。
■採点 ★★☆☆☆。
後にテレ‐ヴィジョン放送向けに書き下ろされたテキスト『ドストエフスキー 罪と罰』
ただ、その中でも、ラスコーリニコフが、自身の意志を裏切って、ほぼ「偶然」によって行動しているというのは、成程と思った。
いずれにしても、実際に一語一語詳細に考えを巡らせて、翻訳してもなお、謎が尽きぬという『罪と罰』
参照文献
ドストエフスキーミハイロヴィチフョードル. (1866). 『罪と罰』. (亀山郁夫, 訳) サンクトペテルブルグ, ロシア.
亀山郁夫. (2009). 『『罪と罰』ノート』. 東京: 平凡社新書(平凡社).
亀山郁夫. (2013). 『ドストエフスキー 罪と罰』. 東京: 100分de名著(NHK出版).
江川卓. (1986). 『謎とき『罪と罰』』. 東京: 新潮選書.
江川卓. (1991). 『謎とき『カラマーゾフの兄弟』』. 東京: 新潮選書(新潮社).
日本聖書協会. (日付不明). 「マタイによる福音書」/『口訳 新約聖書』.
日本聖書協会. (2021年12月8日). 「マタイによる福音書」/『口訳 新約聖書』. 参照先:
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)
📓ノート
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『地下室の手記』の頃、絶望の余り、複数の女性にアプローチを送る p.39
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☆老婆殺害は7月9日 p.42 cf.江川卓説は7月10日
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『罪と罰』のオリジナル版「酔いどれ」の老女殺しの場面の原稿がない。P.51
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★〈偶然〉 「偶然」は神の問題と関わってくる p.102
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★〈偶然〉 老婆殺しは偶然だった ドストエフスキーは創作ノートで何度も偶発性について強調している p.160
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★〈偶然〉 「すべての不信仰者がそうであるように、彼は迷信深い。神の配剤と悪魔の誘惑の見きわめがつかないのだ」(ロシアの研究者・ブラージニコフ) p.161
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★〈偶然〉 「どうしてああいう重要な、あれほど自分にとって決定的な、と同時にあれほどにも偶然的な出会いが、センナヤ広場で(そちらに足を向ける理由すらなかったのに)、よりによってあの時刻に、彼の人生のあの瞬間に、しかもああいう精神状態にあるときに、そう、ああした状況をねらいすましたかのように訪れてきたのか。ああした状況にあったからこそ、あの出会いは、彼の全運命に対して、このうえもなく決定的で、取り返しのつかない影響をおよぼすことになったのではないか。そこで、まるで自分を待ち伏せしていたみたいではないか!」p.164
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悪魔の誘惑 p.164 悪魔=霊=生命
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「彼はソーニャを見ていた。すると不意に、その彼女の顔のなかにリザヴェータの顔を見たような気がした。あの時、斧をもってにじり寄ったときの彼女の顔色をまざまざと思い出したのだ。」/ソーニャとリザヴェータの同一化という一種の錯覚をとおして、
ラスコーリニコフはおぼろけながらも、 みすからが犯した罪の核心に通じることになる。 ことによると、 ラスコーリニコフは、 ソーニャとともにある瞬間だけ、犯した罪のしたたかな感覚と隣りあわせでいることができるのかもしれない。P.167
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ソーニャと老婆アリョーナの相似性 アリョーナ=リザヴェータ=ソーニャ p.169
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『罪と罰』第4部第4章 ここがクライマックス ドストエフスキーの不徹底ぶり p.171
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聖書を小説の中にまるごと引用することは、それまでのロシア文学の中ではなかった。 「ラザロの復活」の下りをまるごと引用したかった p.181
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☆【メモ】『罪と罰』の登場人物は何故、密集するのか? 全員同じ方舟に乗っているから。 船室のイメージ p.185
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「死んだセミョーン・マルメラードフのもてなし」ソーニャの最初の客 p.215
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★「……それで結局、いったい、おまえは何者なのだ?」/「私は永遠に悪を欲し、永遠に善をなすあの力の一部なのです。」(ゲーテ『ファウスト』 [ゲーテ, 1806-1831]) p.237 悪魔=霊=生命
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★〈スヴィドリガイロフの幽霊論〉「幽霊というのは、いわばほかの世界の切れっぱしであり、断片であり、それらの始まりである。健康人には、むろん、そんなもの見えるわけもない。なにしろ健康人というのは、もっとも地上的な人間だから、もっぱらこの地上での生活を生きなくちゃならない、その充実のため、秩序のためにです。ところがちょっとでも病気になり、オルガニズムのなかの正常な地上的な秩序がちょっとでも壊れると、たちまちほかの世界の可能性が出現しはじめる。病気がひどくなればなるほど、ほかの世界との接触は大きくなる。だから、人間は、完全に死んでしまうと、そっくりそのままほかの世界に移っていく」p.240
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〈エロス〉「未来には何もないため、
一切を現在から求めなければならず、 人生をひたすら日々のもので満たさなくてはならない。 すべては肉体へと消え、 肉体の快楽へと投げだされる。 そして手に入らない至高の魂の印象を満たすため、感官を刺激しうるありとあらゆるもので自分の神経を、
自分の肉体を刺激するのだ。もっともグロテスクな嗜好、 この上なくアブノーマルな現象が、しだいにごくありふれたものになる。自己防衛の感覚さえなくなってしまう。」(「エジプトの夜」について)p.244
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スヴィドリガイロフ=ドストエフスキー/ドゥーニャ=アポリナーリヤ・スースロワ p.254
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ポルフィーリーには何故姓がないのか? P.257
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☆ラスコーリニコフは良心の呵責に苦しんでいる様子はないが、では、一体何に苦しんでいたのだろう p.267
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20220112 1518
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