「この世界は彼の学習を待っているのだ」
村上春樹「恋するザムザ」
■村上春樹「恋するザムザ」/村上春樹編訳『恋しくて』2013年9月10日・中央公論社。
■短篇小説。
■2019年9月15日読了。
■採点 ★★★☆☆。
※あらすじに触れますので本作を未読の方はご注意ください。
村上春樹訳するところの恋愛小説のアンソロジーに付された書き下ろしの短篇小説。
わたしの知見が正しければ、村上の小説で主人公が外国人で、時代設定が現代ではないというのは初めてのことではないか*。
*他人の作品を基にしたのも初の試みだと思う。
そのことに特に意味があるわけでもないが、強いて、過去の村上作品でその類縁性を探せば、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終り」の「私」ということになる。
「私」は気が付くと「街」の城門にいて、そこで影を切り取られ、街の中に入るところから始まる。つまり、「私」には過去の記憶がない。そして、そこから人生が始まる、あるいは人生をやり直す。あたかもヴィデオ・ゲイムのセイヴ・ポイントからリロウドされたかのように。
本作は題名の通り、カフカの『変身』の主人公、虫に変身したグレゴール・ザムザが、原作では無論あっけなく死んでしまうが、ここでは、なぜか人間に戻り(そんなことを言ったら、そもそもザムザはなぜか虫になってしまったのだったが)、さらには以前の記憶を失くした状態で幽閉されていた部屋で目覚めるところから始まる。彼は全裸で家の中を歩き回り、そこが無人ではあることを発見する。しかし朝食の準備はできていて、つい今しがたまでそこに数人の人がいたことを示している。つまり突如として行方を絶ったのだ。
そこへ錠前屋の若い女が鍵の修理にやってくる。どうもザムザが幽閉されていた部屋の鍵が壊れていたようで、その錠前屋が呼ばれていたようだ。その女は修理できないので持ち帰るという。
さて、その若い女は実はせむしで背中が曲がった状態で歩き、ときどきもぞもぞと体をゆする。本人によれば背中が曲がっているのでブラジャーがずれるので、それを補正するためだという。
ザムザはなぜかそれに性的な興奮を覚え、性器を勃起させる。しかしザムザ本人はそのことの意味が理解できない。娘にそのことをからかわれても、そういうことではないと抗弁する。つまりザムザは「恋」をしているということなのだ。
これはいったい何を意味しているのか。
性的なことと恋愛感情というのは必ずしも連動しているわけではない、と主人公は言うが、本当にそうなのか。彼は女がブラジャーを調整するためにもぞもぞと体をねじっている様子を見て、「本能的な好意を感じないわけにはいかなかった」という。つまり、直前まで虫であったザムザはせむしの女になにがしかの類縁性を感じ取り、好意を感じているのだ。
さらには娘の様子を見ていた彼はそのものを勃起させるに至るわけだから、「仲間」に対して「本能的」に性欲を感じているだけで、それを単にザムザは無知ゆえに、恋愛感情だと誤解をしているのか。
街は軍隊によって占拠されていて、ザムザの家族たちは状況証拠的には、おそらく拉致されたのであろう。ザムザは二度と会うこともないだろう。
ザムザは娘ともう一度会いたいという。
しかし、それもまた叶わぬ夢となることが感じられれる。
カフカが死んだあとではあるが、言うまでもなく、プラハの街はナチス・ドイツによって軍事的に占領されて、多くの人命が喪われた。
いずれにしても様々な読解を許す作品である。
(未完)
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2019/09/16
15:00
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