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2019年8月16日金曜日

村上春樹・連作短編「一人称単数」その4・その5


村上春樹・連作短編「一人称単数」その4・その5


2019718(木曜日)曇り
蒸し暑い。

村上春樹・連作短編「一人称単数」その4・その5

 たまたま書店で見かけた、村上春樹の新作短篇二編が掲載されている『文學界』(20198月号・文藝春秋)を読む。

 昨年、やはり同時期に三作発表されたものの続稿にあたる。
 その折にも書いたが、昨日やはり、正直言って、これはなんだろう、という読後感が残る。
 今回、掲載されているものは「with the Beatles」というビートルズの曲名ものと、「ヤクルトスワローズ詩集」の二作である。

*実際には、これはアルバムの名前。今まで村上はビートルズの曲名を冠した作品を数品書いている。『ノルウェーの森』は無論のこと、最も新しい短篇集『女のいない男たち』では「「ドライブマイカー」「イエスタデー」などが頭に浮かぶ。


 前者はたしかに小説の結構を取ってはいるがそこからなにかを汲み出すのはなかなか難しい作業である。
 後者に至っては、もはや小説とは言えず、よく言ってエッセイ、言葉を選ばずひどい言い方をすれば、雑文の域を出ていないのではないのか、とも言いうる

*ただ、「雑文」といわれるものに価値がないのか、というとそういうことはない。村上春樹には『村上春樹雑文集』なる書物もあるし、話は逸れるが、今般、江藤淳再評価の端緒となった、大分の評伝『江藤淳は蘇える』をなした平山周吉は雑文家を自称しているが、あれが雑文なら、並みの評論家は顔色がないだろう。

 ことほどさように、むしろ読者の期待を根本から裏切るかのような所業に、この大家を追い込んでいるものは一体なんだろうか。

 もう少し、本二作に乗っ取って問題の所在を確認してみよう。(以下、あらすじを含む内容に触れるので未読の方はご注意いただきたい)

 「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」はほとんど無関係と思われるストーリーが二重構造となっている。そもそものタイトルの所以となっている
「ウィズ・ザ・ビートルズ」というのは無論、往年のイギリスのロックバンドthe Beatlesの2枚目のアルバムのイギリス版での題名である。たまたま「僕」が高校時代に学校の廊下で

(中絶)

🐓
1908161127修正

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