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2018年4月9日月曜日

思考の舞台裏 丸谷才一『思考のレッスン』

思考の舞台裏 

丸谷才一『思考のレッスン』 




■丸谷才一『思考のレッスン』1999年9月30日・文藝春秋。 
■長篇インタヴュウ(文学・風俗・思考法) 
■2018年4月8日読了。 
■採点 ★★★☆☆。 

📝POINTS 
①丸谷才一の思考の舞台裏がうかがえる。 
②バフチンの影響が大きい。 
③バフチンの生き方に学ぶ。  



 1  丸谷さんの舞台裏がうかがえる 

 面白かった。多分、丸谷さんの本が好きな人はとても楽しめるだろう。つまり丸谷さんの仕事の舞台裏を眺める、といった趣がある。 
 例えば、彼の長篇評論の代表作であるところの『後鳥羽院』(1973年・『日本詩人選』10・筑摩書房)や『忠臣藏とは何か』(1984年・講談社)などの作品のそもそもの発想の由来などが述べられていて感心すること請け合いだ。 
 ただ、そうではない、つまり、丸谷本を手に取ったことのない、単に「思考法」を需める一般の読者の役に立つかどうかはいささか心許ない、と言うべきか。 

  
2 バフチン 

 影響を受けた3人*として中村真一郎、バフチン、山崎正和の名が挙げられているが、個人的には、ミハエル・バフチンが入っていることにとても興味を持った。無論、『忠臣藏とは何か』を読めば、影響も何も最終章のカーニヴァル論**を読めば一目瞭然なのだが、それほどまでとは思わなかった。ふーむ、と ここは唸るところだ。 

*正確にいうと「私の考え方を励ましてくれた三人」。 
**「6 祭りとしての反乱」。 

  さらに個人的に書き付けておかねばならぬことはバフチンの個人的な来歴についてだ。 
 彼は「スターリン体制の下で思想犯として投獄され、モスクワを追われて、辺境の町の大学教師としてなんとか生き延びながら、あれだけの仕事をした」*という(聞き手**の発言。本書・p.89)。 

*今調べたが、バフチンの生涯に関しては、残念ながら正確なことは未詳。 

**個人的な推測だが、当時、文藝春秋の取締役だった湯川豊さんだと思われる。後続の類書に『文学のレッスン』(2017年・新潮選書)があり、その聞き手が湯川さんであることから。ただし、未確認である。 

 無論、バフチンの名を知らぬ訳ではなかったが、何故か、今の今までバフチンを読む機会に恵まれなかった。ドストエフスキー関係のものは若年のころ、主だったものはあらかた漁ったというのに。知り合いの先輩に新谷敬三郎さん*のお弟子さんがいたというのに。 

*バフチン『ドストエフスキー論』(『ドストエフスキーの創作の諸問題』1929年/1968年・冬樹社)の初訳者。丸谷さんにそれを送ったのが丸谷さんにとってのバフチンとの出会いだったという(本書・p.79)。 


  
3 屈辱に耐えて 

 それはともかく、バフチンの「ポリフォニー理論」や「カーニヴァル理論」はもとより、わたしがここで感じ入ったことは、彼の、というよりも知識人、あるいは一般の市民においても自らのなすべき仕事、「信念」と言ってもいいかも知れぬが、それを成し遂げるためには表面的には無言を貫く、密室に籠ることも必要ではないか、ということである。 
 今、脳裏を掠めるのは司馬遷の故事である。 
 人はありとあらゆる屈辱に耐えても生きなければならない。生きて生き抜かなければならない。要は「死んで花実の咲くものか」、ということである。 

🐦 

■2018年4月9日 13:51 








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