「話体」という文体
吉本隆明『少年』
吉本隆明『少年』1999年5月・徳間書店/2001年7月15日・徳間文庫。
話 体
吉本は晩年に至っても数多くの著作を公刊しているが、その大部分は編集者等による聞き書き、或いは再編集によるものであった。
その意味では、吉本自身による論著とは、文体においても、或いは内容においても別物だと言わなければならないが、それはある種独特の雰囲気を持っている。難解で知られる吉本の論著が本来持っている氷のようにぴんと張り詰めたものがここにはなく、むしろ緩やかなせせらぎのような文章の流れである。それは快感ですらあるが、その一つの極点が「最後」の著作とも目される、愛猫の死を扱った『フランシス子へ』である。
いずれにしても晩年に至って不自由な視力をもってしてみずからの筆による原稿執筆が困難になってさえも、このような聞き書きという形で執筆を続けようとする吉本の執念と、図らずもそこに現出した吉本のアナザーワールドに我々は耽溺すべきである。
ヰタ・セクスアリス
本書はある種の自伝的体裁をとるが自らの「性に目覚める頃」についても赤裸々に触れられる。取り分け吉本が成績が良くて顔のかわいい女の子に魅かれていたという記述はとても興味深い。
歌の別れ
さらには吉本が詩人として出発しながら何故に詩業を廃絶したのかという点にも触れられている。つまりは詩を書くということの意識的な修練というのを継続することができなくなった、ということだが、これについては私には言いようがない。
話体
性
歌の別れ
教育・社会への視点
サカキバラ事件
0 件のコメント:
コメントを投稿