遍 歴
「機械の倫理学――人造人間キカイダー試論」覚え書き
2017年9月23日(土曜日・祝日・秋分の日だったか?)曇り、肌寒い。
昨日も異様な疲労を感じ、酒を飲まず万全の態勢で執筆に入ろうと思ったが、全く筆が進まない。
致し方なく、せめて『キカイダー試論』のラフ・スケッチだけでも残しておこうと考えて、 wikipediaで調べてみると*、重要な論点が伏在していることが分かった。
*以下 wikipediaの「人造人間キカイダー」の項(2017年9月23日閲覧)による。
詳細は別稿で触れるとしても、そもそも児童向けとしては異様なデザイン、左右非対称、機械の露出など は、内部でも賛否両論あったといわれている。しかし、原作者、というよりもこの場合は主要プランナーというべきだが石森章太郎(後の石ノ森章太郎)は絶賛というか自画自賛だったらしい。
この左右非対称性こそがキカイダーの善と悪との間に揺れ動く心? を表しているらしい。 なんとなれば彼は内部に「良心回路」が組み込まれているのだが、のちに宿敵ハカイダーによって「服従回路」が埋め込まれ、善悪に分裂するのだが、この辺りになってくるともうよく分からない。
これは原作漫画を読まずばなるまい。話はそれからだ。
この人造人間キカイダーの物語が問いかけている問題とは、無論何が善で、何が悪なのか、という普遍的な問題も当然あるが、それでは機械にとっての善悪とは一体なんなのか、あるいは、そもそも機械と人間はなにが違うのか、あるいは違わないのか、 という問題をも問いかけているのだ。
では、なぜ、それが問題なのか。機械、つまりコンピュータはやがては心、すなわち自意識を持つかも知れず、逆にいえば、人間はもしかしたら単なる機械、物理的に生存するための、ドゥルーズ/ガタリ的に言えば「生存機械」ということになるかも知れないからだ。
つまり、機械とは何か、と問うことは、すなわちそれは同時的に人間とは何かを問うことに他ならない*。
*実はこの問題は手塚治虫作『鉄腕アトム』の「地上最強のロボット」を元にしたスピンオフものとも言える、浦沢直樹作『プルートゥ』とも通底している。
結局、ほとんど何も書かず就寝。この疲労感は一体なんだろうか?
本日、出勤。TT。疲労した。
昼食はカレーコロッケ、鶏唐揚鶏唐揚げのカレー風味。
夕食は焼き鳥、カレーコロッケの残り、合鴨のパストラミ乗せ塩胡椒パスタ。
善悪
機械と人間
アトム
プルートウ
きせいじゅうデビルマン
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