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2017年3月1日水曜日

悪の倫理学・覚え書き  その10 中間報告・田中未知太郎の『プラトン』

悪の倫理学・覚え書き  
その10 

中間報告・田中未知太郎の『プラトン』 

プラトン Ⅳ


「「なる」はいつも「ある」を目ざし、「ある」ために「なる」 けれども、「ある」はただ「ある」だけで、別に「なる」を 目ざしたり、「なる」ために「ある」ことはない。この目的、 そのために他のものが「ある」ところのものが「善」にほかならぬと考えられる」(田中未知太郎『プラトンⅣ――政治理論』1984年・岩波書店・p.332)  

 そもそも、本稿の着想はプラトンの『国家』篇への異和感が基になっている、とは以前も書いた。イメージとしては地中海の孤島でギリシア時代の古文書が発掘されて物議を醸す、というものだが、これにはいささかの背景がある。 
 若年の頃、プラトンの著作を通して読んでいるときに、田中未知太郎や藤澤令夫の著作も参考書として読んでいた。 
 これは、学生寮*で同室だったHK君がプラトンの『パイドロス』を読んでいて、面白いと言っていたのと、たまたま、同時期の小林秀雄の『本居宣長補記』**を読んでいて、そこでもプラトンに言及されていて興味を持ったことによる。 

*12人部屋だった。勉強する雰囲気は皆無だったが、これはこれで面白かった。 
**小林秀雄『本居宣長補記』1982年・新潮社。 

 そんなわけでその頃の貧乏学生に入手出来うるものは大体読んだと思う。結局ものにはならなかった*が、田中未知太郎・松平千秋の『ギリシャ語入門』**まで読んだくらいだ。 

*ものにならなかったのは、丁度就職の時期と重なっていたからだ。もう一度真面目に古代ギリシャ語やラテン語、あるいはイスラーム語などを再度学び直したい。 
**田中未知太郎・松平千秋『ギリシャ語入門』1962年・岩波全書。 

 そのなかに田中未知太郎の『プラトン』4部作があった 
 実は、第Ⅰ部「生涯と著作」は目を通していたが、第Ⅱ部以降が入手できず、そのままになっていた。 
 たまたま、今回、このような形で、断続的にではあるが「悪」の問題の考察を進めるなか、この古文書が発見されるシーンと共に田中未知太郎の『プラトン』のことを思い出した。 
 そこでネットで検索してみると、高価な巻でも4000円台だと分かった。これは買うでしょう。 

 さて、第Ⅳ部のカスタマーレビューをたまたま読んだ。 

「「なる」はいつも「ある」を目ざし、「ある」ために「なる」 けれども、「ある」はただ「ある」だけで、別に「なる」を 目ざしたり、「なる」ために「ある」ことはない。この目的、 そのために他のものが「ある」ところのものが「善」にほか ならぬと考えられる」(田中未知太郎『プラトンⅣ――政治理論』1984年・岩波書店・p.332/Zoschollのカスタマーレビュー(2013年5月5日)・Amazonから援引。)  

 前後の脈絡も不明なので、簡単には言えぬが、わたしには意味がわかったとは言えない。しかしながら、この一文は「君の考えていること、考えようとしていることは〈善〉なんだよ」と言われているような気がした*。「悪の倫理学」は当然のことながら「善」の考察を抜きに始まるものではないが、わたし自身の虚を突かれた思いだ。 
 一つ一つの悪の問題を考えつつ、背景となっているものは善なのだ、という点を忘れずに今後も考察を進めていきたい。 

*その意味では当然ながら西田幾太郎の『善の研究』も本稿の考察の対象となる。 



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