ほぼ唯一のジョイス入門書だが……
結城英雄 『ジョイスを読む』
■結城英雄 『ジョイスを読む――二十世紀最大の言葉の魔術師』 2004年5月19日・集英社新書。
■入門書(現代アイルランド文学)。
■採点 ★★☆☆☆。
■2022年2月6日・BOOKOFF町田店にて¥110で購入。
■2022年3月30日読了。
本年2022年は、1922年にジェイムズ・ジョイスが、その代表作たる『ユリシーズ』を、パリ、シェイクスピア&カンパニー書店から刊行して、丁度100年の佳節に当たる。その意味でも各種の論文集の刊行*[1]やイベントなども開催されている*[2]。また、『ユリシーズ』が扱った6月16日を中心として、学会や研究会なども実施されるようである*[3]。
恐らく、ジョイスの名や『ユリシーズ』という作品の名を耳にしたり、あるいは書店などで手に取ったこともある方は少なくないに違いない。しかし、しばしば言われることではあるが、では、実際に読み通したことのある人は必ずしも多くはないだろうというのが、一般的な見解である。つまりは読もうとしても、多くの場合、何が書かれているのか、何を言おうとしているのかが分からない、というのが、普通の読者の感覚だと思う。
その場合、もし、その読書を諦めないとするのであれば、――、無論、分かろうが、分かるまいが、一旦手にしたものは、何が何でも読み切るのだ、という方もいらっしゃるとは思うが、専門で研究している訳でもなく、普通に学業や仕事を持ちながら、僅かな余暇の時間の楽しみとして、その苦役を引き受けるのはいささかならず過酷な試練と言うべきであろう。とすれば、どうすればよいのか。
難解な哲学書などで行われるのが、一旦、入門書の類いで頭を慣らしておく、事前に低所からの訓練をしておく、という方法である。
その場合、一般には入門書と呼ばれるものの多くは、岩波新書などの新書の形で供給されることが多いと思うが、哲学に限らず、或る一定の高所を持つ学問分野に臨むに当たっては、まずはそれらによって、或る一定の理解の枠、認識の構えを作り上げた上で、本編に臨むというやり方は常道とも言える。
さて、ところが、ことジョイスの場合、現在、何らかの形で入手可能な新書はたったの2冊しかないのだ。本書、結城英雄『ジョイスを読む』と、かの難解をもってなるジョイス『フィネガンズ・ウェイク』の完訳で知られる柳瀬尚紀の『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』の2冊のみなのだ*[4]。
無論、新書という縛りをなくせば、他にも素晴らしい解説になり得ている入門書は存在するであろう。しかし、現在は、この2冊しかないのは紛うことない事実なのである。
さて、この2著の特徴を言うと、前「日本ジェイムズ・ジョイス協会」会長の手になる前者は、比較的客観的な記述に終始している。目次を紐解けば明らかではあるが、第一章 ジョイスの生涯、第二章 作品解説、第三章 ジョイスの文学的評価、となっており、恐らく、ジョイスを読もうと思い、事前に事典などで調べた場合の記述をそのまま詳細にしたようなスタンスで書かれている。とても簡にして要を得ていると言ってよいだろう。その意味では現段階では、日本語で書かれた唯一のジョイス入門書なのだが……。
これは皮肉を言っている訳ではなくて、この種の客観的な解説は当然初学者には必要だと思われる。おそらくそれは、あるいは、結城自身の思惑ではなくて、書店の側、つまり集英社側の出版戦略の中のひとつとして、刊行されたのかも知れない*[5]。新書の中でのこのような客観的な知識を提供する入門書という位置づけでは決して非難されるいわれは欠片ほども存在しない。そもそも結城自身の独自の方法論、研究は、『『ユリシーズ』の謎を歩く』(1999年)という著書があるぐらいだ。
ただ、問題は、ジョイスの作品を、例えば問題となる『ユリシーズ』を読もうとした読者に、あるいは読もうとしたが残念ながら挫折した読者に、ジョイスの、あるいは『ユリシーズ』の面白さが伝わるかと言うと、それはいささか話は別である。つまり、本書を読んで、ジョイスについての知識は頭に入るであろうが、果たして、これは凄い、これは面白いのではないか、と思う読者がいるだろうか。
また、本書は「二十世紀最大の言葉の魔術師」と副題されているが、どこがどういう風に「言葉の魔術師」なのか、いやそもそも、「言葉の魔術師」とはいかなる事態なのかの説明はない。
いや、もっと言えば、本タイトルの「ジョイスを読む」ということですら、いささか問題で、「読む」とは一体どういうことなのか、その上で「ジョイスを読む」とは何を意味して、何を意味していないのか、という究極の問題がここには現れていない。
どうでもいいことだが、第三章の「ジョイスの文学的評価」の第(二)節において「猥褻裁判」のことが取り上げられるが、伝記的な側面では確かに重要ではあったかもしれないが、「文学的評価」という意味での「言葉の魔術(師)」という意味においては、それは些末な問題ではなかったろうか。
つまり、こういうことか。入門書と軽々に言うけれども、我々日本人は、この新書というメディアを通じて、入門書ではあるけれども、単に入門書を超え出た作品を知っている。なんらかの研究書なり、入門書なり、評論なりが、その対象とする作品を単に擦るのではなくて、何らかの方法で拮抗する、場合によっては対抗するものを内在的に持たねば、作品としての入門書は成立しえない。
もし、それが困難であるというのであれば、その対象とする作品、あるいは人物、事態の全部でなくてもよいので、特定の箇所を徹底的に読み砕くということで回避できる気がする。
例えば、今問題にしている『ユリシーズ』。全部を扱わなくても、全部で18存在する挿話の一つを、あるいは論点の一つを徹底的に解読すればよいのではないだろうか*[6]。
以上のような観点に立てば、先に挙げた柳瀬尚紀の『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』は、――詳細は別稿を立てて論ずることとするが、いささか看板に偽りありで、「語り手」は「犬」であるとした、第12挿話「キュクロプス」についての詳細な読解にほぼ終始している。だから、題名は『ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』第12挿話の謎を解く』が妥当ではあるが、それが長いのであれば、帯のキャッチコピーのままに「吾輩は犬である」でどうだったか。
題名の問題は一旦措くとしても、内容的には、これはこれで潔い。語り手が犬であるとの主張を論証するには新書200ペイジ分ぐらいは確かに必要であったかも知れない。
むしろ、この方が、ジョイスだから、と言うことかも知れないが、ジョイスそのものの面白さ、愉しさが、初読者にも伝わろうというものである。
要は、ジョイスを読むのに莫大な知識は必要としない*[7]。そうではなくて、柳瀬がそうであったように、ジョイスのテキストを面白がる姿勢こそ肝要だったのではなかろうか。
📓ノート
l 結婚という制度への反感 p.p.34-35
l 支配・被支配 p.99
l 信仰を捨てられないスティーヴン p.100
l 歴史 大きな物語(?) p.119
l 「英文学」の始まりは19世紀インド 植民地支配 英語教育の必要 p.139 cf.三浦雅士「小説という植民地」
l ヴィーコの歴史観 ジョルダーノ・ブルーノの二元論 p.162
【主要参考文献】
Joyce James . (2003/07/01アップロード). Ulysses. 参照先: 『Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルク)』.
ジョイス ジェイムズ, 丸谷(訳)才一, 永川(訳)玲二, 高松(訳)雄一.
(1922年/1996年-97年). 『ユリシーズ』. 集英社.
ジョイスジェイムズ, 柳瀬(訳)尚紀. (1939年/1991年-1993年). 『フィネガンズ・ウェイク』(和訳全2巻). 河出書房新社.
伊藤(編)整. (1969年). 『20世紀英米文学案内9 ジョイス』. 研究社出版.
桶谷秀昭. (1964年/1994年). 『ジェイムズ・ジョイス』. 紀伊国屋新書/精選復刻紀伊國屋新書.
結城英雄. (1999年). 『『ユリシーズ』の謎を歩く』. 集英社.
結城英雄. (2004年). 『ジョイスを読む――二十世紀最大の言葉の魔術師』 . 集英社新書.
柳瀬尚紀. (1996年). 『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』. 岩波新書(岩波書店).
4808字(13枚)
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*[1] ①金井嘉彦・吉川
信・横内一雄 編『ジョイスの挑戦──『ユリシーズ』に嵌る方法』2022年・JJJS(Japanese
James Joyce Studies)・言叢社。②下楠昌哉・須川いずみ・田村章 編『百年目の『ユリシーズ』』2022年・松籟社。
*[2] ① 「22Ulyssesージェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』への招待」全22回開催・2022年2月2日から12月16日までon lineにて実施・発起人:田多良俊樹、河原真也、桃尾美佳、小野瀬宗一郎、南谷奉良、小林広直、田中恵理、平繁佳織、永嶋友、今関裕太、宮原駿、湯田かよこ、新井智也。②「2022年の『ユリシーズ』―スティーヴンズの読書会」全18回(?)開催・2019年6月16日から・現在はon lineにて実施・主催者: 南谷奉良・小林広直・平繁佳織。
*[4] 絶版ではあるが、古書店で入手できるものに、①桶谷秀昭『ジェイムズ・ジョイス』1964年・紀伊国屋新書/1994年・精選復刻紀伊國屋新書、がある。こちらは筆者自身の関心が色濃く出ていてジョイスにとってのナショナリズムの問題を中心に論じている。また、新書ではないが、これまた絶版ではあるけれども、古書肆で容易に入手できるものに、②伊藤整編『20世紀英米文学案内9 ジョイス』1969年・研究社出版、がある。簡単な伝記と作品解説、及び評価という三部構成からなっているが、伊藤整、安藤一郎、丸谷才一、柳瀬尚紀、他といった錚々たるメンバーが寄稿していて、尚且つ、巻末の、太田三郎による「年表・書誌」が古いとは言え、大変充実している。また月報(付録)に寄稿されている磯田光一の「ジョイス受容史点描」も特筆に値する。①②の両者とも絶版のままにしておくのは大変残念なことである。
*[5] ①1996-97年に、丸谷才一・永川玲二・高松雄一共訳 『ユリシーズ』全3巻、②1999年に、高松雄一訳『ダブリンの市民』、③2004年に、宮田恭子訳『抄訳
フィネガンズ・ウェイク』、④2009年に、丸谷才一訳『若い藝術家の肖像』といったジョイスの全ての小説作品がいずれも集英社から刊行されている。そして、③を除く①~④までの訳文の校訂、訳注の作成などに助力をした結城英雄による⑤
『「ユリシーズ」の謎を歩く』も1999年に集英社から刊行されている。①~⑤の単行本はいずれも和田誠による統一の装丁でデザインされている。その一環として、本書『ジョイスを読む』が存在する。
*[6] 素人がトライするとするとこうなるだろうか。具体的には次の通り。① 註も(できるだけ)読まずに、まず通読する。もちろん気になるところはチェックを入れる。② 訳者解説を参考に粗筋を頭に入れる。③ 訳註を参考に疑問に思ったところを読み返す。ネットで調べる。場合によっては原文や他の翻訳もチェックする。④ 自分なりにポイントになりそうな論点をノートなどにメモをする。⑤ 時間の余裕があれば④を短文にまとめておく。というようなやり方を各挿話ごとに繰り返していくと、多少なりとも、作品の持つ内在的な意味やおもしょろさが理解できるようになりであろうか。
*[7] 文学の翻訳書の訳註をどうするかというのはなかなか難しい問題である。ジョイスの集英社から出ているシリーズは詳細な訳註が売り物だ。実際、素人には調べようがない、つまり、そもそも気づきようがないものもあり、確かに重宝する。だが、逆に柳瀬尚紀は訳書の本体には一切註を付けない。恐らく、読書の流れが阻害されることを恐れているのかもしれない。文学書なのだから、まずは自力で分かる範囲で良いから、読んでみようということか。その代わり、柳瀬は『フィネガンズ・ウェイク』には『』、『ユリシーズ』には『』と『』という解説書を残している。まず、通読した後に、解説を読みたい者は読め、ということか。ロシア文学で言えば、亀山郁夫が同じ態度である。本文には訳註を入れない。その代わり、巻末に詳細な解説を収録するか、場合によっては、別冊で解説書のみを刊行している。どちらが正しいかどうかという問題ではないが、個人的な意見としては註や解説は本文を通読したのち、自分なりの目算、予想を立てた後に眼を通すのがよいのではないかと思う。
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