これが民意なのか?
その2
小熊英二の「希望の党=幻想論」
及び「公明党=メビウスの輪」論
さて、前回の続稿である。
前稿*の復習をしておこう。
*「これが民意なのか?」2017年10月23日更新。
今般の第48回衆議院議員総選挙の結果について、与党=自由民主党及び公明党の「圧倒的大勝利」とされたが、これは本当に民意の表れなのか、真実は別のところにあるのではないのか、という主旨だった。
なぜ民意とは異なった結果になるのかということのついては、多くの 論者が既に指摘しているように、死票を多量に生む「小選挙区制」にあるとした。
さて、前稿の宿題として、二つの問題を挙げていた。公明党の問題と、「民意」という術語では括れない新たな「政治空間」のようなものの問題だった。それをきちんと説明せねばならない。
無論、いささか無謀な論題なので、前者については歴史社会学者・小熊英二の卓抜な総選挙論の軒先を借りよう。
後者については続稿「その3」で述べたい。
小熊英二は、総選挙直後の10月26日に『朝日新聞』、「論壇時評」において「「希望」が幻想だったわけ――総選挙の構図」*と題し、今回の総選挙の総括をしている。
* 小熊英二「「希望」が幻想だったわけ――総選挙の構図」/『朝日新聞』2017年10月26日朝刊・「論壇時評」。以下ここからの引用は小熊「「希望」が幻想だったわけ」と略記する。ちなみに毎月の小熊の「論壇時評」を楽しみにしている者としては、全く余計なことだが、これは「論壇時評」というよりも「社会時評」に近いとは思う。
今回の野党の(ほぼ)総崩れは民進党代表であった前原誠司の突然の自爆にも似た民進党の希望の党への合流にあった。放っておいてもどんどん民進党から離党者が続出するぐらいなら一党まるごと合流した方が得策であるという乾坤一擲の挙に出たのだと推測される。つまりは、戦前においてはそれほど希望の党の存在があまりにも大きかったと言える。
これは比較的冷静だった希望の党の代表である小池百合子についても、それなりの目算があったが故に民進党のまるごと受け入れではなく、選択的受け入れ、すなわち「排除」発言にもなったのだと考えられる。
したがって、今回の希望の党の予想を覆す敗北は、この前原の自爆とともに小池の排除発言に大きな原因があるとメディアでは言われているようであるが、果たしてそうなのか。
そもそも希望の党は順調に票を伸ばしたとしても大勝利の芽は果たしてあったのであろうか。 結論から言えば、希望の党の勝利は幻想だったと小熊は述べる*。
*小熊「「希望」が幻想だったわけ」。
安倍首相の周辺が「日本人は右が3割、左が2割、中道5割」と語っている*ことを紹介して、実はこの数字は選挙の際の得票率に符合するという。すなわち「「右3割」は自公の固定票、「左2割」は広義のリベラル(共産党も含む)の固定票、「中道5割」は棄権を含む無党派」**であるという。
*記事「『安倍政治』を問う:3 選挙中は『こだわり』封印」/『朝日新聞』2017年9月29日朝刊。
**小熊「「希望」が幻想だったわけ」。
ということは、5割が棄権するという状況が変わらな限り、野党は一貫して与党に負け続けることになる。 今回の選挙では当初、希望の党はこの無党派層を集めて勝利をするかのように報道されていた。しかし既存の保守層3割、リベラル2割に勝つためには無党派5割のうちの4割を獲得せねばならず、それはすなわち9割もの投票率を実現せねばならず、「どんなブームでも、それは不可能である。」*
*小熊「「希望」が幻想だったわけ」。
つまりは「希望」は「幻想」だったということになる。
ではその幻想がどこに起因するのかと言えば、無論、今回の総選挙に3ヶ月先立つ東京都議会議員選挙における、小池率いるところの都民ファーストの会の圧勝である。なぜ、都民ファーストの会は勝てたのか。
「実は都議選では、小池ブーム以上に、公明党の動向が大きかった。」「創価学会は衆院選の各選挙区2~3万票を持つ。」もし「公明票の半数でも離反すれば自民党議員が百人は減るという。」ところが実際に「都議選では、公明党が小池新党支持に回った。(中略)結果は、公明票に離反された自民が総崩れになった。」*
*小熊「「希望」が幻想だったわけ」。
これこそが希望の党圧勝の幻想の内実である。
こう分析した上で小熊は希望の党の過大評価の原因を「メディアの責任が大きい」として、さらに政治家に対しては「ブームや幻想に頼らず、現実の社会の声に耳を傾けてほしい。」*として稿を閉じている。
*小熊「「希望」が幻想だったわけ」。
さて、本題はここからである。
小熊自身は今回の記事に限って言えば、特段公明党の「責任」については論及していないが、実のところ、これは大問題なのではないか。すなわち、一体、公明党とは何なのか、という問題である。
前稿においてわたしは以下のように書き付けておいた。
さらにもし、公明党が連立を抜けたら与党・自由民主党221議席の野党244議席となり与野党逆転が生じるということもついでに言い添えておこう。(「これが民意なのか?」2017年10月23日更新)
そしてさらに、その註として以下のようにも書いた。
公明党については別稿を立てて論ずる必要があると思う。明らかに公明党の行動はおかしい。支持母体の創価学会の平和という方針からすると、なぜよりによって安倍内閣と連立を組んでいるのか理解ができない。恐らく支持母体の方針や結党の理念に反してでも、是が非でも政権党にいるということが最大の目的であるとしか考えられない。それは公明党自身の意思ではないのではないだろうか。(「これが民意なのか?」2017年10月23日更新)
公明党の実際のありようについては、わたしには手に余る問題である。今後のジャーナリズムによる具体的な調査・報道、及び研究者らによる学術的な研究が待たれる。 しかしながら、このような分析あるいは状況を一旦目にした後であるなら、いささかならず考え込まざるを得ない。
公明党がそもそも保守政党として誕生して、幾ばくかの政策の違いから自由民主党とは一線は画す、しかし、おおよその政治理念は自民党はさほどの違いはない、だから、連立を組んでいる、というのであるなら、なんの問題はないのだ。まあ、放っておくしかない。
しかし、そうではない。本来公明党は、宗教法人・創価学会の下部機関として結成され、現在に至っている。結党当時はもちろんのこと、現在でも多くの創価学会員が公明党を支えるために選挙戦の活動をしている。先の小熊の 「創価学会は衆院選の各選挙区2~3万票を持つ。」*という指摘はこれを指す。
*小熊「「希望」が幻想だったわけ」。
では、創価学会の理念は自由民主党の政策と合致するのか。その最右翼である安倍晋三の政策と一致するのか。
創価学会は「平和・文化・教育」を活動の理念としているが、その大本は戦時中の国家権力による大弾圧による。初代会長・牧口常三郎、二代会長・戸田城聖は治安維持法違反により投獄され、牧口は獄死した。
すなわち平和を守る、世界を平和にするというのが戦後の創価学会の根本理念ではないか。
従来憲法に反するとの理由で認められていなかった集団的自衛権を閣議での解釈変更で容認したり、日本国憲法を「改正」して自衛隊(「国防軍」)の明記を狙う安倍自民党と何故に連立を組む必要性があるのか。理解に苦しむ。
政権内の「ブレーキ役」などと子供騙しのようなことを言ってはいけない。実際そうなってないことは火を見るよりも明らかであり、今回の選挙においての議席減という結果が何よりも物語っている。
繰り返しになるが選挙活動を強いられている多くの創価学会員が集団的自衛権容認、憲法「改正」賛成、世界平和のためにはその方がよいと創価学会も組織として方針として掲げているのであれば、とやかく言うことではない。日本会議と同じなのだと思えばよい。
しかし、そうではないのではないか。 流れから見ると今夏の都議選が組織としてはむしろ党本部からすると逸脱だったのではないか。政策の是非に関わることなく、あくまでも政権の座にいることが、何らかの事情で必須命題になっているとしか思えない。どんな事情か。おそらくそれは支持母体・創価学会の本来の理念を裏切ることになっても、そのことが創価学会を、あるいは池田大作名誉会長を守ることになるという「メビウスの輪」のような行動を公明党は取らざるを得ない状況に「陥っている」のではなかろうか。
公明党の動向は日本の行く末を左右しかねない。引き続き動向を見守っていきたい。
次稿「その3」では哲学者・國分功一郎の『来るべき民主主義』(2013年9月30日・幻冬舎新書)と思想家・東浩紀の『一般意志2.0』(2011年11月25日・講談社)を取り上げ「民主主義」及び「民意」の意味について問い直す予定だ。
2017年10月31日 20:55 ー2017年11月1日 01:38
🐦
3667字(400字詰め原稿用紙9枚)
0 件のコメント:
コメントを投稿