三浦雅士――人間の遠い彼方へ その1
三浦雅士――人間の遠い彼方へ
鳥の事務所
第Ⅰ部 批評家としての三浦雅士
α篇
三浦雅士
――批評的散文詩の発明
そもそものはじめに
本稿は以前、突発的に、前の会社を辞めて、次の仕事が全く見つからなかったときに、半年ほどかけて書いた、一種の殴り書きです。テーマとなっている三浦さんには全く申し訳ないが、自らの能力的な問題で、全く的外れな文章のようなものになってしまいました。
ただ、ほっておいても仕方がないので、ここに徐々にアップしていこうと思います。その過程でなにか修正すべきことも、自分で気づくのではないかと思います。
という訳で、宜しくお願いします。
2024年5月7日
鳥の事務所
はじめに
本書は文芸評論家・三浦雅士氏を扱ったもので全3部作のうち、第1部の最初の部分を切り分けたものである。
全体を示すと以下の通りである。
三浦雅士――人間の遠い彼方へ
第Ⅰ部 批評家としての三浦雅士
α篇「三浦雅士――批評的散文詩の発明」
β篇「三浦雅士――凝視と放心の発見」
γ篇「三浦雅士――幽霊と考える身体の再発見」
第Ⅱ部 三浦雅士全著作解題
第Ⅲ部 編集者としての三浦雅士
このうちの「第Ⅰ部 批評家としての三浦雅士」現7章のところ、第1章から第5章までを、α篇「三浦雅士――批評的散文詩の発明」とした。
また第6章、および第7章をβ篇「三浦雅士――凝視と放心の発見」と題した。
また第8章以降はγ篇「三浦雅士――幽霊と考える身体の再発見」(仮題)となる予定である。
さて、それでは、簡単にα篇「三浦雅士――批評的散文詩の発明」が成立するに至る経緯から簡単に概観してみよう。
文芸評論家・三浦雅士氏は若年の頃、詩と批評誌『ユリイカ』と思想誌『現代思想』の編集長を務め、伝説の誌面づくりと、その編集後記で、その名を今現在まで轟かせている。
今後の日本の文学史、批評史、思想史には、恐らく、三浦氏の名は「『現代思想』の編集長で、1980年代初頭のニュー・アカデミズム・ブームの下準備をしたこと」で記憶されるに違いない。
これはこれで大切なことであって、そもそも、その『現代思想』、あるいは『ユリイカ』がどのように編集されていて、一旦どんなことが書かれていて、同時代的に、また、後世にいかなる影響を与えたのか、といった詳細な研究はまだないはずである。今後入念な準備のもとにこの企画は達成されねばならない(→「第Ⅲ部 編集者としての三浦雅士」へ)。
しかしながら、三浦氏の真の実力は、果たして、そこに留まるものだろうか。
後年、三浦氏は舞踊評論家として、また『DANCE MAGAZINE』の編集長として、日本では比較的馴染みが薄い舞踊、ダンス、バレエといった分野の啓蒙にも尽力してきた。この分野においては、三浦氏の「考える身体」などに代表される、独特の身体論の再検討、再評価とともに、音楽、舞踊、絵画といった、いわゆる「非言語の芸術」をいかに言語で批評するのか、といった問題も口を開けて待っている。
これは単に「芸術批評」の問題にとどまらず、そもそも人間が動物とその存在を分かったという次元の文明的な考察をも要求している。なんとなれば、「舞踊こそ芸術の根源である」というのは三浦氏の言葉であるが、恐らくその場合の「根源」とは人間が動物の世界から身を起こしたところに潜んでいるに違いないからである。
これらの問題を問うことは、三浦氏の存在を一人の「文明批評家」として再発見することに他ならない(→「第Ⅰ部・γ篇「三浦雅士――幽霊と考える身体の再発見」」へ)。
恐らく三浦氏の特異な点、どうしても論じておかねばならない点が以上の2点なのだが、恐らくこれらのことごとに、後世、埋没してしまうのでは、と恐れているのが、文芸批評家としての三浦雅士氏の姿なのである。
というよりも、そもそも文芸批評家などという職業は21世紀も後半になれば、絶えてなくなるかもしれないのである。それは一つの時代の審判であろうから、やむをえないとも思うが、小説を読んで、ただ、面白いか面白くないか、という短絡的な判断だけではなく、なぜ、この作品は面白いのか、何が読者をして感動させるのかを、その作品にはいかなる背景があるのか、こういったことを読者に伝え、ご理解いただくことも、単に小説を読むだけでは味わえない喜びではないかとわたしは考える。
その意味で、三浦氏の文芸批評の妙味とでもいうべきものの万分の一でも伝えることができればと思った次第である。
三浦氏の批評は、端的に短文において、その力を発揮する。鋭利な剃刀のように切れ味を見せる。それは、恐らく、三浦氏が若年の頃から実際に多くの詩人たちと接し、その詩情とでもいうべきものを養うことができたということ、さらには、『ユリイカ』、『現代思想』における、あたかも散文詩を思わせる、「編集後記」ならざる「編集後記」の執筆によっても養成されたと言える。さらには書評とは思えない濃密度の気圏の中で書かれた初期の書評群、恐らくこれらを通じて、三浦氏は「批評的散文詩」、あるいは「思想的散文詩」とでもいうべきものを発見、「発明」したと言っても過言ではない(本書第4章)。
残念ながら、本稿では、その具体的な状況については可能な限り明らかにしたつもりではあるが、わたしの至らなさ故、理論的な考察、他の詩人や批評家との具体的な比較までは及ばなかったことをお断りする次第である。
まずは、三浦氏の諭跡を確認する意味で中期の2著を紹介する(本書第2章・第3章)。
さらに、その「批評的散文詩」の具体的な表れとして、「文芸」という側面から2篇(本書稿第5章第1節)、「思想」という面から2篇(本書稿第5章第2節)紹介している。
さて、中期以降、とりわけ三浦氏が長篇三部作に取り組む中で、従来の短篇型の論述の型が、いささかならず宙に浮いているのでは思う。
三浦氏自身は果たして気付いているかどうか定かではないが、そこの一つのバラスト、錘になるような技が、資料を同時代的に読み解いていくものである。これは、「白川静問題」でまず姿を現し、次いで『青春の終焉』の前半部分、そして、何よりも、未だ刊行されざる「孤独の発明」の前半部分で無類の力を発揮している。
結局は資料を徹底的に読み込むということに尽きるわけだが、よくもまあ、こんな資料まで探し出してきたな、よくぞ、そこまで筆者の意図、意図せざる意図まで読み込むものだという驚嘆の技が開陳される。まさにこれこそ文芸批評の勝利と言わずに何を勝利とすればよいのか。
本稿では、このうち「資料」問題の好例として「白川静問題」を取り上げる(第5章第4節)。
『青春の終焉』及び「孤独の発明」本篇については、別稿β篇にて取り上げる。
最後に、総タイトル「人間の遠い彼方へ」の意味についてと本稿の文体について、説明しておきたい。
前者についてはいろいろな含みがあるのだが、一旦は、『群像』連載「言語の政治学」が単行本『孤独の発明 または言語の政治学』としてまとめられる際に、何故か、改稿されたため、収録されることがなくなった、連載最終回「見ることの恐怖」だが、実は、書き直され収録されたものより、各段に素晴らしいのだ。主として舞踊が論じられているため主旨にそぐわないということかとは思うが、そんなことはないと思う。γ篇「三浦雅士――幽霊と考える身体の再発見」はここから書き始めようと構想しているが、そこに述べられらた次の言葉は、今までの三浦氏の仕事と、これからのそれを全て包含する含みを持っていると考えている。
自己とは自己からの隔たり以外のではないとすれば、人間とは人間からの隔たり以外ではない。人間から隔たり続けることが人間なのである。
(中略)
人間は人間でないという縁まで、人間を運んだということである。(三浦「言語の政治学」最終回/『群像』2017年8月号・p.226)
もう一つ、本稿の文体である。
わたしの認識では普通のことをやっていては文芸批評は滅亡すると思う。
そのささやかなる抵抗として、まずもって若い読者に手に取ってもらい、笑ってもらいながら、文学や、批評や思想のことも考えてもらいたいと思った。とにかく読んでもらわなければ意味がないからだ。
それゆえ、高校生から大学の1・2年生を、仮に対象とする架空講義の体で書いていった。
多くの授業や講義が、その本題ではなく、雑談によって記憶されるように、できるだけ、砕け(過ぎた)た話し方と、雑談、余談、難解と思われる語の説明なども、全く十分とは言えないが書き込むようにした。
文体についての考え方は本文中に示した(第2章第6節)。
ただ、言い訳になってしまうが、わたしにとっては、余りの長文だったため、論旨の整理、全体の統一や、語註の漏れなどのチェックが不十分の段階で時間切れとなってしまった。心苦しく思う次第である。
以上、宜しくお願いする次第である。
2021年8月29日
2024年5月3日改稿
鳥の事務所
目 次
4 補講 その①――ソクラテスとプロタゴラスの間で――相対主義を巡って
2 『この本がいい』の「あとがき」の文体――「読者の召喚性」
2 〈私〉意識の解体――『限りなく透明に近いブルー』文庫解説
4 「孤独の発明」本論、及び『孤独の発明 または言語の政治学』の迷走
【巻末資料2 三浦雅士『自分が死ぬということ』掲載書評一覧】
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